6月1日は、ねじの日という記念日です。

ねじの日は、日本工業標準調査会が、新たにJIS規格である「日本工業規格」が制定したことにちなんで、ねじ製品の重要性などのPRを行うのが目的で制定された記念日です。

さらに詳しく、ねじの日について興味がある場合は、このまま読み続けることで知識を深めることができます。
 

スポンサーリンク




「ねじの日」に関する基本情報

ここでは、「ねじの日」を誰が制定したのか?なぜ、6月1日が記念日になったのか?といった基本的なことがらを紹介します。

誰が制定した記念日なのか?

「ねじの日」は、インターネットで調べていると、「東京鋲螺協同組合」や「ねじ商工連盟」など、色々な組織が制定した記念日として言われています。

書籍で確認した、「ねじの日」を制定した協会とは?

色々な記念日関連の書籍を確認したところ、1951年に、一般社団法人日本ねじ工業協会が、制定した記念日です。

日本ねじ工業協会とは?

日本ねじ工業協会とは、日本のねじ業界の業界団体であり、元経済産業省所管の協会です。

その他の組織が「ねじの日」を制定したという説とは?

ねじの日は、「東京鋲螺協同組合」が提唱し、1975年(昭和50年)7月に、「6月1日」を「ねじの日」として、ねじ商工連盟が制定した記念日とも言われています。年度は、1976年(昭和51年)に制定されたというケースもあります。

東京鋲螺協同組合とは?

東京鋲螺協同組合とは、良質のねじを届ける、ねじの商社の団体です。

ねじ商工連盟とは?

ねじ商工連盟とは、日本のねじ製造業者や販売業者で構成する唯一の全国団体です。

[ads1]

なぜ、6月1日が、ねじの日になってのか?

ねじの日の記念日が、6月1日になったのは、1949年6月1日に日本工業規格(JIS)の基本法である「工業標準化法」が公布されたことにちなんで日付が決まっています。

「ねじの日」制定の宣言文が発表された!?

1976年6月1日には、「ねじの日」制定の宣言文が発表されています。宣言文では、「ねじ」の重要性について業界内、業界外に周知をはかることで、ねじ産業界の社会的地位の向上を目指しています。

「ねじの日」に関するイベントとは?

毎年、6月1日のねじの日の前後には、「商社やメーカーが参加してのパネル討論会」「一般の消費者に呼びかけて”ねじの標語”を募る」「記念グッズの製作、販売」「全日本ファスナーショーの開催」「展示会への出展」などが行われ、「ねじ」のPRが行われます。

「ねじの日」のオリジナルロゴを無償配布

ねじの日オリジナルロゴを、企業、個人、業界内外を問わずに、多くの人に無償配布しています。このねじの日のオリジナルロゴは、金属産業新聞社が無料配布を応援しています。

[ads2]

 

「ねじの日」に関する豆知識・雑学

ここからは、「ねじの日」にちなんで、「ねじ」に関連する豆知識、雑学を紹介します。

ネジの歴史的な起源とは?

ネジの明確な起源は分かっていません。歴史家によると、「アルキタスが発明した説」、「ペルガのアポロニウスが発明した説」などがあります。

アルキタスが発明した説とは?

アルキタスがネジを発明したと主張するのはギリシャの学者エウスタシウスです。アルキタスのネジは、円筒状の筒の中に大きなねじを入れた揚水用のアルキメディアン・スクリューです。これが今知られている範囲で、最初のネジ構造を機械に使用した例です。

日本にネジが伝来してのは、いつか?

日本にネジが入ってきたのは、火縄銃の伝来で有名な、1543年の種子島に漂着したポルトガル人に、火縄銃とともにネジも伝来しました。これ以前にネジが使われた証拠が発見されていません。

娘を嫁がせて、ネジの作成法を習得した日本人

藩の命令によって火縄銃の模造をしようとした刀鍛冶八板金兵衛は、自分の娘若狭をポルトガル人に嫁がせてまで、ネジの作成法を習得したと言う伝説が残っているほどです。

日本で初のネジは、火縄銃に使われていた!?

種子島の領主は、火縄銃を購入していますが、この時には、銃身の後ろ側を塞ぐ尾栓に使われていた「おネジ」と「めネジ」が、日本で初めて登場したネジとされています

日本で作られた初のネジとは!?

種子島でポルトガル人から購入した火縄銃を模して作ったのが日本で最初のネジというのが定説となっています

 

まとめ

ねじの日は、日本工業標準調査会が、新たにJIS規格である「日本工業規格」が制定したことにちなんで、ねじ製品の重要性などのPRを行うのが目的で制定された記念日です。

この記念日を制定した組織は、いくつかの協会であると言う説がありますが、ここでは複数の記念日の書籍で制定者として示されている「日本ねじ工業協会」が制定した説が正しいと考えています。