5月9日5月10日は、奄美黒糖焼酎の日という記念日です。

奄美黒糖焼酎の日は、奄美の伝統文化として継承されてきた「奄美黒糖焼酎」を、さらなる躍進を目指して制定された記念日です。

さらに詳しく、「奄美黒糖焼酎の日」について興味がある場合は、このまま読み進めることで知識を深めることができます。
 

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「奄美黒糖焼酎の日」に関する基本情報

ここからは、「奄美黒糖焼酎の日」が、誰が制定したのか?なぜ、5月9日なのか?といった基本的なことがらを紹介します。

誰が制定した記念日なのか?

2007年(平成19年)5月9日、奄美大島酒造組合が制定した記念日です。

「奄美黒糖焼酎の日」は、どんな記念日なのか?

「奄美黒糖焼酎の日」は、「奄美黒糖焼酎」のさらなる躍進を目指して、下記の5ヶ条によって、「奄美黒糖焼酎の日」を宣言しました。

[su_quote cite=”日本酒造組合中央会のホームページ” url=”http://www.honkakushochu-awamori.jp/anniversary.html”]

  • 我々は、奄美の伝統文化を継承し、安心で安全な奄美黒糖焼酎としての品質向上に努めます。
  • 我々は、奄美の風土に感謝し、美しく恵まれた自然環境の保全に努めます。
  • 我々は、奄美黒糖焼酎に関わる人々との連携により、地域社会の発展に寄与します。
  • 我々は、法を尊守すると共に酒の特殊性に鑑み、節度ある飲酒の啓発に努めます。
  • 我々は、奄美黒糖焼酎のPRを通じて、地場産業の振興に努めます。


[/su_quote]

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焼酎・泡盛に関する記念日

ここでは、「奄美黒糖焼酎の日」にちなんで、本格焼酎や泡盛に関連する記念日を紹介します。

本格焼酎&泡盛の日(11月1日)

11月1日は、「本格焼酎&泡盛の日」です。1987年(昭和62年)9月に、日本酒造組合中央会が制定した記念日です。毎年、仕込みは8月~9月に始まり、11月1日ごろに新酒がのめるようになるので、この日を記念日にしています。

新酒は縁起が良いとされています。また、全国の神様が出雲大社に集まる神無月の10月を終え、11月1日は、神様が国に戻ってくるにも当たるので、本格焼酎が、毎年、新しい芽を出す節日としてふさわしいとされています。

壱岐焼酎の日(7月1日)

WTO(世界貿易機関)により「壱岐」焼酎が、1995年(平成7年)7月1日に、地理的表示、産地指定を受けました。その10年後の2005年(平成17年)に、10周年をむかえるのに当たり、壱岐酒造協同組合が「壱岐焼酎の日」を制定しました。「壱岐焼酎の日」は、日本記念日協会に認定、登録されました。

球磨焼酎の日(8月8日)

球磨焼酎の日は、米を原料とする球磨焼酎の記念日です。球磨焼酎は、500年の長い歴史と伝統を持つ人吉球磨地方の貴重な文化です。この人吉球磨地方の酒造組合の球磨焼酎酒造組合が制定した記念日です。

記念日の日付が、8月8日にしたのは、米を原料にするからです。昔から、米を作るには、88の手間がかかると言われ、米の字を分解すると「八十八」となることから、8月8日が「米の日」となります。この米の日に合わせて「球磨焼酎の日」の記念日の日付が決められています。

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「奄美黒糖焼酎の日」に関する豆知識

ここからは、「奄美黒糖焼酎の日」にちなんで「奄美黒糖焼酎」に関する豆知識、雑学を紹介します。

奄美黒糖焼酎とは?

奄美黒糖焼酎(あまみこくとうしょうちゅう)は、鹿児島県の奄美群島で造られている焼酎です。原材料としては、米麹とサトウキビからとされる純黒砂糖で作られている単式蒸留した本格焼酎です。

「奄美黒糖焼酎」の商標は?

奄美黒糖焼酎の商標は、奄美大島酒造協同組合の地域団体商標として登録されています。一般名詞としては、黒糖焼酎(こくとうしょうちゅう)となります。

鹿児島県の「焼酎」は、いつからあるのか?

奄美黒糖焼酎の元となる、鹿児島県の焼酎は、「焼酎」と書かれた木片が1559年に、伊佐市の郡山八幡神社から見つかっています。当時の焼酎は、どぶろく同様、米、麦、キビなどを使っていたと考えら得ています。

焼酎は献上品であった

1623年ふぉろには、奄美群島から薩摩藩へ、焼酎が献上されていたことは文献にも残されています。当時の焼酎の原料は不明です。

奄美大島にサトウキビが栽培されたのはいつからか?

奄美大島にサトウキビが持ち込まれたのは、1610年ごろに、直川智(すなおかわち)が、中国福建から持ち帰ったものが始まりだという説があります。この後、一定の期間を要した後に醸造に使われるようになったと言われています。

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サトウキビでの焼酎作りの開始

サトウキビは、江戸時代の1850年~1853年ごろに、奄美大島に遠島となった名越左源太(なごやさげんた)の書いた「南島雑話」に、サトウキビ汁に、アワ、ムギ、サツマイモ、シイの実、ソテツの実のデンプンを使って作られる「留汁焼酎」の記録が残っています。

サトウキビでの焼酎作りの禁止

しかし、薩摩藩は奄美で作られるサトウキビの黒糖を全て納めさせて資金源とすることにし、サトウキビによる焼酎作りが禁止されました。しかし、実際には、密造があったようで、江戸時代の後期には、「江戸買物独案内」に「砂糖せうちう」が銘酒として記されています。

自家製焼酎が作られた時代

明治時代には、奄美群島各地において、自家製の焼酎として黒糖焼酎が作られるようになりました。一般的には、ソテツデンプンで黄麹を作り、煮たサツマイモと砂糖を加えて発酵させていました。

酒造所の開業

大正時代には、1916年に、喜界島で、現在の朝日酒造となる、当時の喜禎酒造所が開業しました、さらに、1922年には、奄美大島の名瀬村で弥生焼酎醸造所が開業しました。また、1925年に、沖縄の首里から現在の西平本家、当時の西平家が喜界島に移り、泡盛の製造が、販売目的で蒸留酒の製造が本格化しました。


 

まとめ

奄美黒糖焼酎の日は、奄美の伝統文化として継承されてきた「奄美黒糖焼酎」を、さらなる躍進を目指して制定された記念日です。5月9日の奄美黒糖焼酎の日には、奄美黒糖焼酎の美味しさを味わってみるのに良いのではないかと思いました。