5月20日は、ローマ字の日という記念日です。
ローマ字の日は、日本式のローマ字である「ローマ字国字論」を唱えた田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)氏にちなんで制定された記念日です。
さらに詳しく、「ローマ字の日」について興味がある場合は、このまま読み続けることで理解を深めることができます。
「ローマ字の日」に関する基本情報
ここでは、「ローマ字の日」を、誰が制定したのか?なぜ、5月20日なのか?といった基本的な情報を紹介します。
誰が制定した記念日なのか?
財団法人日本のローマ字社が制定した記念日です。
日本のローマ字社とは?
日本のローマ字社とは、「日本語による言語生活を向上させる」、「日本語にあったローマ字表記、カナ表記のつづり方」、「漢字の平易化」についての調査、研究、実践活動を行うことで、日本語の教育、文化の発展、国際的地位の向上が目的の組織です。
具体的な活動内容とは?
- ローマ字などの普及活動
- ローマ字などに関する調査、研究
- ローマ字教育、日本語教育に関連する事業
- 「ことばと文字」の機関誌、出版物の刊行
いつから実施された記念日なのか?
1955年(昭和30年)から実施された記念日です。
日本記念日協会に登録された記念日
ローマ字の日は、日本記念日協会によって、認定、登録されている記念日です。
なぜ、5月20日が記念日になったのか?
ローマ字の日の日付は、「日本式ローマ字つづりの発案者であり、ローマ字国字論を提唱した物理学者の田中館愛橘(たなかだて あいきつ)氏の命日が1952年(昭和27年)5月21日であるのを、ローマ字社が区切りの良い20日にずらした」のと、「1922年(大正11年)5月20日に日本ローマ字会が創設された」ことを記念して決められています。
日本近代化に欠かせなかったローマ字
日本近代化に欠かせなかったローマ字は、明治以降は、「ヘボン式」と「日本式」の2種類のつづり方があります。田中館愛橘氏は、ローマ字国字論を展開しました。
どんなイベントが開催されているのか?
5月20日のローマ字の日を中心に、研究会、講演会などが開かれています。特に、ローマ字の日には、「ローマ字の日記念のつどい」が開催されます。
- 2018年:5月20日15時~
- 2017年:5月20日14時~
- 2016年:5月22日14時~
- 2015年:5月30日(土曜日)14時~
- 2014年:5月18日(日曜日)13時半~
日本のアクセントを考えるの対談などが行われました。
成田英敏さんの「アイヌ語と私」などが行われました。
市川次郎さんの「大正生まれの小説家による漢字論」が、安部公房、三島由紀夫、星新一、安岡章太郎、司馬遼太郎、吉行淳之介の6人の作家を得たんで、監事について書いた文章を探して紹介して発表しました。
Rômazi Aiueo(ローマ字 あいうえお)の主宰の溝口裕也(Mizoguti Hiroya) さんと木村一郎の対談が行われました。
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「ローマ字の日」に関する豆知識
ここからは、「ローマ字の日」にちなんで、ローマ字に関連する豆知識、雑学を紹介します。
ローマ字の語源の意味・由来とは?
ローマ字とは、アルファベットのことで、ラテン文字とも言われます。「ローマ字」という名称の由来は、古代ローマ人がラテン語を表記するのに使っていたことだと言われています。
ローマ字を英語でいうと、どうなるのか?
ローマ字を英語でいうと「Roman character」となります。
ローマ字の起源・歴史とは?いつ、誰が作ったのか?
ローマ字を作ったのは、16世紀に日本に来たイエズス会の宣教師たちです。当時、日本語を勉強していた宣教師が、ポルトガル語ににせて書いたテキストを作っていました。これが最初のローマ字です。
ポルトガル語は、ラテン文字です。その為、テキストには日本語をラテン文字で書いていました。ポルトガル語を記述していたので、このローマ字は、「ポルトガル式ローマ字」と言われています。このポルトガル式ローマ字は普及しませんでした。
オランダ語風ローマ字
18世紀になると、オランダ語風のローマ字(オランダ式ローマ字)が作られました。オランダ式ローマ字は、蘭学者などの一部の人が使っただけで一般の日本人には広まりませんでした。なお、幕末の薩摩藩主の島津斉彬(しまづ なりあきら)は、このオランダ式ローマ字で日記を書いていました。
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ヘボン式のローマ字
1867年(慶応3年)に、アメリカ人宣教師のヘボンが「和英語林集成」という辞書を作りました。これが英語を話すアメリカ人が、日本語を読むときのフリガナか発音記号のようなものとして使われていた辞書なので、英語式ローマ字となります。
この当時、「羅馬字会」という団体が、日本人にローマ字を広める活動を行っていました。その「羅馬字会」が「和英語林集成」に少し手を加えて日本人に広めていました。
この「羅馬字会」の活動もあったのかは分かりませんが、現在でも使われているヘボン式となり、「和英語林集成」でも第三版の修正バージョンから採用されています。
日本式のローマ字の登場
1885年(明治18年)には、物理学者の田中館愛橘(たなかだて あいきつ)氏が、「理学協会雑誌」に「理学協会雑誌を羅馬字にて発兌するの発議及び羅馬字用法意見」を 発表 し、ヘボン式にかわる新しいローマ字を提案しました。
ローマ字のアイデアを出したのは?
ローマ字は、天文学者の寺尾寿(てらお ひさし)のアイデアでした。そのアイデアを学術雑誌に掲載し、日本式ローマ字を使おうと言ったのが田中館愛橘(たなかだて あいきつ)氏でした。
日本式ローマ字を作った理由とは?
今までに作られたローマ字は、外国人が日本語を読むため作られたモノなので、外国人のためのものでした。その為、つづりが外国語風でした。それに対して、日本式ローマ字は、日本人が日本語らしく書くために、日本語風のローマ字のつづりにし、日本人が使うために考えられたローマ字です。
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「ヘボン式」と「日本式」の2つが主流のローマ字になった理由とは?
現在では、ローマ字は、「ヘボン式」と「日本式」の2つの種類が主流となっています。日本式ローマ字を作ったものの、既にヘボン式が定着しつつあったことで、日本式に変更するのを抵抗を感じる人もいました。
その為、1886年(明治19年)に、田中館愛橘氏の日本式ローマ字の提案は、「羅馬字会」の総会で否決されました。これがきっかけで、「羅馬字会」を田中館愛橘氏が離れたことで、「ヘボン式」と「日本式」のローマ字が対立することになりました。
「ヘボン式」「日本式」のどちらを作用したのか?
「ヘボン式」と「日本式」のそれぞれの支援者は、激しい論戦を行い、それぞれの方式を熱心に宣伝しました。
1913年(大正2年)
中央気象台が、日本式を採用。
1917年(大正6年)
陸軍陸地測量部の地図が日本式を採用。
1922年(大正11年)
海軍水路部の海図が日本式を採用。
1927年(昭和2年)
鉄道省の駅名表記がヘボン式を採用。
1928年(昭和3年)
陸軍省が日本式を採用。
1929年(昭和4年)
海軍省が日本式を採用。
統一の「訓令式」の登場
ローマ字には、色々な種類がありますが、その中でも「ヘボン式」と「日本式」の2つが主流となり、対立し、混乱していました。その為、ローマ字を統一するために1937年(昭和12年)に訓令式が作られました。
ローマ字の「ヘボン式」「日本式」の混乱
戦後のアメリカ軍による日本統治時代に、GHQが、ヘボン式を強制したことでふたたびローマ字の混乱を起こりました。
訓令式を公式のローマ字とした
1954年(昭和29年)に、訓令式が、改めて公式のローマ字となりました。訓令式は、「ヘボン式」の考えをしりぞけて、「日本式」の考え方を受け継いで、さらに新しくししたローマ字です。
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ローマ字の種類
ここでは、今までに、日本において、どのようなローマ字があったのか?その種類を紹介しています。
ポルトガル式ローマ字
ポルトガル式のローマ字は、イエズス会の宣教師が日本語を勉強するのに使われていたローマ字です。
オランダ式ローマ字
オランダ式ローマ字は、蘭学者など一部の人達で使われていたローマ字です。
ヘボン式ローマ字
ヘボン式のローマ字は、アメリカ人宣教師のヘボンが、アメリカ人が日本語を読むときのフリガナ、発音記号として作られたローマ字です。
日本式
日本式のローマ字は、今までに作られたローマ字が、外国人が日本語を読むために作られていたのを、日本人のために作られたローマ字です。
訓令式
訓令式のローマ字は、「ヘボン式」と「日本式」の2つの形式のローマ字が、どちらを使うのかで混乱していたのを納めるために、公式のローマ字として統一するために作られた新しいローマ字です。
まとめ
ローマ字の日は、日本式ローマ字を発明した田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)氏の命日、日本ローマ字社の創設にちなんで制定された記念日です。
英語を学ぶときには、ローマ字は、必須の文字だと思います。そんなローマ字を作った人の記念日ということで、今回は、ローマ字の歴史や週類についても紹介しました。