毎月14日、毎月15日は、ひよこの日という記念日です。
ひよこの日は、「ひよ子まんじゅう」をPRするのが目的で制定された記念日です。
さらに詳しく、「ひよこの日」について知りたい場合には、このまま読み続けてると知識を深めることができます。
「ひよこの日」に関する基本情報
ひよこの日は、誰が制定したのか?なぜ、毎月、14日、15日なのか?といった基本的なことがらを紹介します。
誰が制定したのか?
ひよ子の日は、福岡県飯塚市にある「ひよ子本舗吉野堂」が制定した記念日です。
なぜ、毎月14日、15日なのか?
日付が14日、15日なのは、「ひよこの日」にちなんで、「ひ(1)よ(4)こ(5)」の語呂合わせで出来ています。
ひよこまんじゅうの発祥は?
「ひよ子まんじゅう」は、東京などでも、お土産品として売られており、有名になっているので、東京のお土産では?と思っている人も多いかもしれません。しかし、元々は、福岡県で誕生したお菓子です。
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「ひよ子まんじゅう」に関する豆知識
ひよ子まんじゅうに関する豆知識を紹介します。
「ひよ子まんじゅう」は、いつ出来たのか?
1912年(大正元年)に、当時の「ひよ子本舗吉野堂」の店主である石坂茂が、「丸いかたちの饅頭ではなく、もっと愛される饅頭をつくりたい」という思いからできた饅頭です。
「ひよ子の生い立ち」
ひよ子饅頭は、
- お菓子は生き物であり、味は無限である
- 商品は私たちの生命であり、真心である
- 私たちの願いは、ひよ子のお菓子を通じておつきあいの輪を拡げ、明るい社会をつくることである
という思いで誕生し、今でもその想いが引き継がれています。
どこで「ひよ子まんじゅう」は誕生したのか?
福岡、東京に進出した「ひよ子まんじゅう」は、筑豊飯塚で生まれました。元々、筑豊飯塚は、炭鉱の町として栄えたために、甘い物がエネルギー源として働く人に好まれました。
大阪や東京の手みやげだった
昔は、「ひよ子まんじゅう」は、東京や大阪などとの取引があり、人の往来が活発であったことから、手土産のお菓子として購入されていました。
「ひよ子まんじゅう」は、こうして生まれた
ひよ子本舗吉野堂は、明治から続く菓子屋です。このひよ子本舗吉野堂の二代目の店主である石坂茂が、子供にも大人にも好まれるお菓子を作りたいと思っていたところ、夢の中で見たのが「ひよ子まんじゅう」であったためだと言われています。
なぜ、夢で見たのか?
元々飯塚という町は、「養鶏」が盛に行われていたことから、夢を見たのではないか?と想像できます。
福岡に進出したのは、いつか?
1975年(昭和32年)、三代目になる石坂博和によって福岡市に出店しました。出店したのは、福岡市の一等地の当時の新天町(現在の天神2丁目)です。その後、博多で人気となり、九州名産と言われるようになりました。
東京への進出の理由とは?
1964年(昭和39年)に行われた東京オリンピックを契機に、東京を向け、1966年(昭和41年)に、東京駅八重洲地下街に東京での一号店をだしました。そして、東北新幹線が開通することには、東京土産と言われるようになりました。
まとめ
「ひよ子まんじゅう」は、近年では、全国的に似たお菓子が出ており、裁判にもなったことがあるようですが、せっかく、美味しいお菓子なので、皆が楽しく食べれるようなお菓子であってほしいですね。