12月31日は、大晦日です。
ここでは、大晦日とは?、といった点に着目し、
- いつが起源なのか?
- どんな歴史的な由来があるのか?
- どんな意味があるのか?
- いつから大晦日があるのか?
- 読み方は、どうなのか?
- 昔の風習は、どうなのか?
- 海外の大晦日は、どうなのか?
などについて紹介しています。
「大晦日」に関する基本情報
大晦日に関する基本的なことを紹介しています。
「大晦日」の読み方とは?
「大晦日の読み方は、「おおみそか」です。
大晦日とは?いつなのか?
大晦日とは、1年の最終日のことです。現在では、12月31日です。
毎月あるのが「晦日(みそか)」
「晦日(みそか)」は、毎月の「末日」のことです。1年の最後の日なので「大」をつけて「大晦日」と言う訳です。
大晦日の違う言い方の「、「大晦」」とは?
大晦日の違う言い方としては、「大晦」と書いて、「おおつごもり」という言い方もあります。
「晦日」は、毎月ある!?
「大晦日」と「晦日」の関係と同じ様に、「大」がなくなると「晦日」は、毎月の末日を意味します。「大」がつくと「年末の31日」を意味します。
ちなみに、「晦(つごもり)」も「末日」を指しますが、その意味は、月が隠れる日で、「月隠(つきごもり)」がなまったモノです。
「大晦日」の由来とは?
大晦日(おおみそか)の由来は、元々、「みそ」 = 「30」の意味があり、「みそか」 = 「30日」です。この為、1年の最後の日ということで「大」をつけて、「大みそか」と言います。
なんで、30日が最後の日なのか?
旧暦では、末日は、31日ではなく、30日でした。だから、「みそか」=「30日」にあんります。
歴史的な起源とは?
日本においての大晦日という風習は古くからあり、「歳神様」(としがみさま)、「歳徳様」(としとくさま)への信仰が元になります。一年を司る神様でもあると言われています。
正月には神様が家に来る
年の初めに来る神様は、「正月様」(しょうがつさま)とも呼ばれます。神様が来る方角は、年によって違い、神様が来る方角は「恵方」と呼ばれました。
昔は、大晦日から家で神様を待っていた
お正月は、神様をお迎えして、食事を共にするため、大晦日の夜から「年籠り」(としごもり)といって、眠らずに年越しをして過ごすべきだとされていました。
昔は、大晦日の夜に眠ると、禁を破ったとして「白髪になる」「シワが増える」という伝承があったようです。
昔の元旦の過ごし方
昔は、眠らずに、年越しをした後は、元旦の日は、恵方の方角にある神社に参拝する「恵方詣り」をするが、それ以外は、元旦も家で過ごすのが一般的でした。
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現在の大晦日、元旦は、意識が変わった
昔は、各家に歳神様という神様が、来ると信じられていました。しかし、現在では、この観念がほとんどなくなり、正月三が日は、神様がいる神社に出向いていき、お願い事をするのが一般的になりました。
「初詣」がはじまったのは、いつから?
神様を家で待つのではなく、「初詣」として神社に行くようになったのは、
- 1887年(明治20年代):官公庁が、元旦に御真影を拝む「新年拝賀式」
- 1891年(明治24年):「小学校祝日大祭日儀式規定」で、元旦に小学校へ登校する「元旦節」
- 関西の鉄道会社が正月三が日に恵方を気にせず神社へ初詣を行うというレジャー的な要素を含んだ宣伝
といったことが原因だと言われています。
このような習慣で、「年籠り」という習慣が薄れていったようです。
いつから大晦日があるのか?
大晦日は、日本では、古くから存在する伝統的な行事です。
昔の「大晦日」は、12月31日でなかった?
大晦日といえば、今では「12月31日」に決まっていますが、明治5年までの和暦の太陰太陽暦(旧暦)においては、大晦日は年によって違いました。
具体的に大晦日の日としては、
- 12月29日
- 12月30日
- 閏12月29日
- 閏12月30日
という日になることもあり、歴を見ない限り、大晦日がいつかわ分かりませんでした。
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「大晦日」に関する豆知識
ここでは大晦日に関する参考になる豆知識を紹介します。
年越しそば
大晦日と言えば、「年越しそばを食べる」という風習が全国的にみられます。これは、新年を祝う料理の一種である「年取り料理(としとりりょうり)」を食べる習慣の1つだと思います。
蕎麦(そば)は、江戸で人気の食べ物
元々、蕎麦(そば)は、江戸時代(1603年~)、江戸の人気の食べ物です。「速い、安い、うまい」と江戸っ子に人気でした。
大晦日に蕎麦(そば)を食べる理由とは?
蕎麦(そば)を大晦日に食べる風習は、色々な説があり、
- 蕎麦(そば)のように細く長く生きたいという願い
- 蕎麦(そば)は、簡単に切れるので、その年の苦労を大晦日に断ち切り、翌年に持ちこさないという願い
- 植物としての蕎麦(そば)は、雨風で倒れても太陽の光を浴びるとすぐに立ち直るという、生命力強さにあやかりたいという願い
- 年末は、忙しく、自分たちで食事を作る暇がなかったから
と言ったような説が言われています。
年越しが、全員の誕生日だった!?
戦前など、昔の日本は、大晦日を迎え、正月が来るたびに、全員が1歳、年をとるとされていました。今のように、欧米と同じ、生年月日で、年をとるのは、戦後になってからです。
大晦日に、お祝いで「年越し料理」を食べた
この為、正月というのは、家族全員の誕生日なので、大切なおめでたい日として祝うために「年越し料理」というご馳走を食べていました。
なぜ、大晦日にお祝いをするのか?
正月でなく、なぜ、1日前の大晦日にご馳走を食べたのかと言うと、昔の日本人は、
- 日没が1日の終わり
- 月が出るのが1日の始まり
と考えていたので、夜になり月がでると、翌日になっていたので、新年を迎えたということで、年取り料理(としとりりょうり)を食べてお祝いをしたようです。
除夜の鐘
除夜の鐘(じょやのかね)の「除夜」は、大晦日と同じ意味です。除夜の鐘は、お寺で、108回、鐘をつきますが、これは「人間には108つの煩悩がある」とする仏教の教えに基づくものだと言われています。
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年賀状
年賀状は、欧米で言うクリスマスカードのように、新年のあいさつを送る習慣です。このような新年のあいさつは、似たような風習が江戸時代から既にありました。ただし、江戸時代は、お世話になった人のお宅に贈答品を持って、挨拶に行くというモノです。また、身分の高い人で、遠くにいて挨拶に行けない人は、飛脚(ひきゃく)を使って、挨拶の言葉や贈り物をしていました。
現在の年賀状は、明治6年にハガキの郵便配達のサービスがはじまり、年賀状を送る習慣が生まれました。明治39年には、年賀郵便という制度ができ、昭和24年には、お年玉くじ付き年賀はがきが発売されるようになりました。
平安時代の「大晦日」の儀式
平安時代の大晦日の宮廷儀礼に「鬼やらい」という「追儺」(ついな)がありました。「鬼」という良くないモノを追い払うことを、年の変わり目の最大の節分に、方相氏(ほうそうし)という恐ろしいいでたちで行う古い行事がありました。これは、後に、節分の行事になります。これが、大晦日や旧正月などに「なまはげ」などの行事が行われています。
海外の大晦日の行事とは?
アメリカの年末年始
アメリカでは、1月1日の正月を祝います。この正月の祝いは、12月31日からはじまり、大みそかの夜には、親戚や友人と集まりパーティーを行います。そして、夜中の0時になり、年が変わると「ハッピーニューイヤー」と叫び祝います。新年を祝うイベントなどが各地で行われています。
スペインの正月・年越し
スペインでは、元旦は特に重要視されていません。しかし、年越しに際しては、「12粒のブドウ」と「時を鳴らす時計」が重要視されます。具体的に、夜中の0時の年越しのタイミングには、広場の時計塔の0時を知らせる鐘の音に合わせて、12粒のブドウを食べ、新年をスタートするというのがスペイン流です。
ルーマニアの正月
ルーマニアの正月のイベントは、「本物の熊の毛皮をかぶって街中を歩く」というものです。この風習は、紀元前から続いているルーマニアの伝統です。
スコットランドの年越し
スコットランドの年越しは、年越しはホグマニー(Hogmany)と言われ、0時の鐘の音が終わると、事前に選ばれた背が高いハンサムな男性が、家の扉を叩き、最初の1歩をその家にもたらします。この訪問者にはウイスキーと贈り物が振舞われます。
オランダの年越し
オランダでは、午前0時を1秒過ぎた瞬間に、花火が一斉に打ち上げられて、新年の始まりを祝います。
エストニアの正月
エストニアでは、新年に豊富な食料が確保できる願いを込めて、1日に7回の食事をとります。
世界各国、それぞれの地域で、様々なイベントや行事が行われているようです。
まとめ
大晦日は、昔からある風習ですが、昔と今では、だいぶん意味合いが変わってきています。ただし、今も昔も大晦日は大切な日であることは変わりありませんので、大切にしたい日だと思います。