12月28日は、ディスクジョッキーの日という記念日です。

ディスクジョッキーの日は、日本のディスクジョッキーの草分けである糸居五郎氏の功績をたたえるため記念日として制定しました。

また、ディスクジョッキーやパーソナリティーの魅力を多くの人に知ってもらうのが目的、DJ界の発展を願って記念日としても制定されています。

さらに詳しく「ディスクジョッキーの日」についての知識を深めたい人は、このまま読み進めてもらえれば参考になるようにしています。
 

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「ディスクジョッキーの日」に関する基本情報

ディスクジョッキーの日の由来や意味とは?どんな特徴があり、なぜ、制定されたのか?基本的なことがらを紹介します。

誰が制定した記念日なのか?

元ラジオプのロデューサーである上野修さんが制定した記念日と言われています。また、ラジオDJやパーソナリティーの事務所として、ディスクジョッキーの養成や番組制作を行っている株式会社サンディが制定したという説もあります。

記念日になった由来・理由とは?

日本のディスクジョッキー界の草分け的な糸居五郎氏の功績を記念して制定された記念日です。

なぜ、12月28日になったのか?

1984年12月28日に、日本で最初の本格的なディスクジョッキーの糸居五郎さんが逝去した日を記念日にしました。

糸居五郎とは?

糸居五郎さんは、日本で最初の本格的なディスクジョッキーとして活躍した、草分け的な存在です。

糸居五郎氏が脚光を浴びた番組

糸居五郎氏は、「オールナイトニッポン」の前身の番組である「オールナイトジョッキー」を担当したディスクジョッキーです。

オールナイトジョッキーとは?

オールナイトジョッキーという番組は、糸居五郎氏が、「音楽はDJがかけるもの」というコンセプトで、自分の選曲にこだわり放送をしていました。当時のラジオは、リスナーからの投書のリクエストに答えるのが一般的であったため、糸居五郎氏は、「最初で最後の職人DJ」と言われるほどでした。

ビートルズの「ラヴ・ミー・ドゥ」を日本で最初に紹介

糸居五郎氏は、1963年にビートルズの「ラヴ・ミー・ドゥ」を日本で初めて流したとしても知られています。ただし、その時は、何の反応もなかったようです。

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「糸居五郎」に関する豆知識

「ディスクジョッキーの日」の元になった「糸居五郎」さんについての情報を紹介します。

糸居五郎氏の生い立ち

糸居五郎氏は、「小石川新聞」という地域向け新聞の編集、発行を手掛けていたジャーナリストの糸居銀一郎の五男として現在の東京都文京区(当時の東京府東京市小石川区)で生まれ、東京市指ケ谷尋常小学校(現・文京区立指ケ谷小学校)に入学した1927年に父を亡くしています。

ジャズとの出会い

糸居五郎氏は、兄の影響で小学生の時からジャズが好きになりました

ポスター展に入選

府立第三商業学校(現・東京都立第三商業高等学校)の在学中の1936年に、同級生で、のちの漫画家の塩田英二郎氏と共同で全国学生ポスター展に出展し、みごと入選し、銀の優勝盃を獲得しています。

満州時代の糸居五郎氏

1938年、11歳年上の兄が官吏として満州に渡しました。糸居五郎氏は、和田英学院で英語を学び、1940年に卒業。同年、徴兵検査を受けるために日本に帰国したが、体重が軽すぎ、徴兵を逃れています

アナウンサーとしての下積み時代

1941年5月に、糸居五郎氏が、アナウンサーとして満洲電信電話株式会社新京中央放送局に入局し、先輩の森繁久彌氏からアナウンス指導を受けます

終戦後

終戦後、日本に帰ってきた糸居五郎氏は、NHKへの入局を望むが叶わず、東京の神田で「ひつじ屋」という輸入食料品店を行います。

アナウンサーとして復職する

糸居五郎氏は、アナウンサーとして復職するにあたり、東京放送(TBS)、京都放送(KBS京都)から誘いを受けていました。しかし、「チーフアナウンサー」になれるというコトで、開局を控えていた京都放送に1951年10月入社して復職し、ニュース、スポーツ中継の担当アナウンサーとして活躍しました。

DJ番組を担当

1952年には、民法では初となる本格的なDJ番組の「アルファベット・ジャズ」を担当しています。

ラシオ南海に出向

1953年に、国体中継と開局間もない期間のアナウンススタッフ養成を兼ねて、愛媛県にあるラジオ南海(RNB)に出向しています。

株式会社深夜放送に入社

1954年7月には、ニッポン放送の子会社である株式会社深夜放送に入社して、「深夜のDJ」という番組を担当しています。ニッポン放送の開局となる1954年7月15日の「ただいまから開局いたします」といった一声は、糸居五郎氏のものです。

オールナイトジョッキーを担当

1959年10月からは、「オールナイトニッポン」の前身となる「オールナイトジョッキー」という番組を担当します。

ビートルズのデビュー曲を日本で初の放送

1963年2月には、オールナイトジョッキーという番組で、ビートルズのデビュー曲である「ラヴ・ミー・ドゥ」を日本で初めて放送したのは糸居五郎氏です。

オールナイトニッポンの放送開始

1967年10月、オールナイトニッポンの放送が開始されると、糸居五郎氏は、月曜日(のちに金曜日や水曜日になる)を担当しています。

 

まとめ

糸居五郎氏への尊敬の念と、今後のDJ界の発展を願って作られたのが「ディスクジョッキーの日」という記念日です。