5月16日は、旅の日という記念日です。
旅の日は、せわあしない現代生活の中で「旅の心」を大切にして、旅のあり方を考え直す日として制定された記念日です。
さらに詳しく、「旅の日」について知りたいと思う場合は、このまま読み進めることで知識を深めることができます。
「旅の日」に関する基本情報
ここでは、「旅の日」の記念日を、誰が制定したのか?なぜ、5月16日なのか?といった基本的な情報を紹介します。
誰が制定した記念日なのか?
1988年(昭和63年)に、日本旅のペンクラブが制定した記念日です。
日本旅のペンクラブとは?
日本旅のペンクラブは、旅を愛する作家などによって結成されたクラブです。
なぜ、5月16日が記念日の日付になったのか?
旅の日が、5月16日になったのは、江戸時代の俳人である松尾芭蕉が「奥の細道」の旅に出発したのが、旧暦の1689年(元禄2年)3月27日でした。これを新暦に置き換え、記念日を設立した1988年にすると、5月16日であったことで、日付が決まっています。
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「旅の日」に関する豆知識・雑学
ここでは、「旅の日」にちなんで、「松尾芭蕉」や「奥の細道」、「旅」関連の豆知識、雑学を紹介します。
松尾芭蕉とは?
松尾芭蕉は、江戸時代の中期に、現在の三重県、当時の伊賀国に、農民の身分であった両親の元で生まれ、幼名は金作でした。
松尾芭蕉が俳句と出会ったキッカケは?
平家の末流という血筋で、身分にかかわらず帯刀が許されたほど恵まれた松尾家に生まれたが、13歳の時に父親が無くなり家計が苦しくなったことで、伊賀の侍大将の元に料理人という立場で仕えることになりました。
侍大将に仕えた当時は、身分の高い者の嗜みであった俳句に触れる機会に恵まれ、芭蕉は「松尾宗房」の名前で俳句をよむようになりました。
本格的に俳句を学んだ時期
1660年ごろ、松尾芭蕉の兄が亡くなると、すでに夢中になっていた俳句の道を究めたいと思い、仕官を辞めて、俳句研究の最先端である江戸に上京し、日本橋や深川など居を移しながら、多くの俳人と交流し学びを深めました。
そして、芭蕉は、独特な視点が評価を受け、発表会にはなくてはならない存在となり、沢山の弟子を従えるようになりました。
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松尾芭蕉の逸話とは?
ここでは、本当かウソか分からないが、松尾芭蕉に関する都市伝説のように言われていた逸話を紹介します。
江戸で肉体労働などをやりながら俳句を学んでいた
伊賀から江戸に移り住んが松尾芭蕉は、最初は俳句で生計を立てるのは難しく、肉体労働や水道工事の事務仕事などを行っていました。その期間は、23歳から35歳まで、10年以上に渡って苦労していました。
松尾芭蕉は忍者であった!?
松尾芭蕉は伊賀の出身ということで「忍者」であったとはよく言われています。その根拠は、奥の細道の移動距離です。150日で2400キロを制覇しています。当時の寿命が50歳の時代に、46歳であった松尾芭蕉が、1日16キロもの移動をおこなっていました。
何ヵ月も旅をしても、野宿は一度もしていなかった
奥の細道として、2400キロもの移動をした松尾芭蕉ですが、自然の仲に身を置きその風情を全身で感じながら旅をしていましたが、野宿が嫌いなので、大金を出しても宿に泊まったり、支援者の家に無理やり泊まったりと野宿をしなかったということが、松尾芭蕉の弟子の日記に記されています。
松尾芭蕉は同性愛者であった
松尾芭蕉が同性愛者であったことは、弟子の日記に書かれており、松尾芭蕉自身、若い時に詠んだ俳句に自分が同性愛者であることを告白しています。その為、恋人と同棲したり、俳句を詠む旅に恋人を連れて行ったりもしていました。
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有名な俳人を嫌っていた
俳句を鐘稼ぎの手段としか考えていなかった他の俳人を嫌っており、そのような俳人の集まりを避け、何よりも旅を愛していました。
亡くなる前日まで、次の旅を計画していた
松尾芭蕉は、大阪後で亡くなりました。亡くなる前には、動けない体で、次の旅に思いをはせる俳句を詠んでいました。もしも、病気が回復したら次は九州地方へ旅する予定でした。
松尾芭蕉の旅は、隠れた使命があった
松尾芭蕉は、俳句を詠む旅で日本中を旅行しています。当時は、国の境に関所があり、今のように簡単に移動はできませんでした。しかし、松尾芭蕉は自由に旅をし俳句を書いていました。
その為、松尾芭蕉は、政府の隠密であり、反政府的な集まり、治安などを調査する任務があったので、関所を簡単に越えれたのではないかとも言われています。
松尾芭蕉はキリシタンであった!?
松尾芭蕉は謎が多い人で、キリシタンであったという説もあります。その理由は、芭蕉の俳句には、聖書の話を彷彿とさせるものがたびたび登場します。具体的には、雛というキリシタンを指す言葉で俳句を詠んだりしています。
まとめ
旅の日は、松尾芭蕉が奥の細道のたびに行った日にちなんで制定された記念日です。松尾芭蕉は、色々な逸話がある人です。この点も松尾芭蕉がミステリアスで、ついつい気になるところが、このような記念日を作られるほど人気がある人になった理由なのかと思いました。