12月1日は、鉄の記念日です。
鉄の記念日は、日本で初めて高炉による製鉄に成功したことを記念して制定された記念日です。
鉄の記念日の基本情報
鉄の記念日とは、どんな記念日で、いつ、誰が、どのような経緯で制定したのかをまとめて紹介しています。
誰が制定した記念日なのか?
鉄工業者の業界集団である、日本鉄鋼連盟が制定した記念日です。
記念日を制定した目的とは?
記念日を活用して鉄に関するPRイベントが行われています。
なぜ、記念日になったのか?
1857年(安政4年)に、現在の岩手県釜石市の大橋鉄山(当時の南部藩(盛岡藩士))の大島高任(おおしまたかとう)を技術指導者として日本で最初の洋式高炉が造られ、12月1日に初めて火が入れられたのを記念して、「鉄の記念日」が制定されました。
本当は、1月15日では?という説も…
鉄の記念日の12月1日は、旧暦での日付です。この為、現在の新暦に変えると、本当は1月15日になります。しかし、業界では、便宜上、旧暦の12月1日を採用したようです。
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いつ鉄の記念日が制定されたのか?
洋式高炉100年を迎えた、1957年(昭和33年)に、鉄の記念日を制定しました。
洋式高炉の建築は、薩摩藩の方が早かった・・・!?
鉄の記念日は、岩手県釜石市(南部藩)の大島高任が、日本で最初に洋式高炉に火を入れたこをを記念してできた記念日です。
実は、これ以外にも、洋式高炉を築いたのは、
- 薩摩(鹿児島)
- 函館(北海道)
といった地域でも作られています。特に、薩摩の方が早かったという説もあります。
薩摩(鹿児島)
洋式高炉を築いたという点では、薩摩藩の方が早いです。鹿児島県では、薩摩藩主の島津斉彬の指揮のもと、1854年(安政元年)に竣工したもののほうが古くなります。
函館(北海道)
1858年には、北海道の箱館(函館)で、北辺開拓事業の一環として、古武井が高炉を築いたとも言われています。。
なぜ、釜石の南部藩の大島高任が鉄の記念日になったのか?
釜石が近代製鉄業の発祥地と言われているので、鉄の記念日になったようです。
薩摩でなく、釜石(南部藩)が記念日の元になった理由としては、
理由1:大島高任の功績
大島高任は、洋学者、技術者としての資質や組織力に加えて、その技術的思想が、他と比べ群を抜いたと言われています。
理由2:釜石の伝統・歴史
釜石は、製鉄に必要な原料や資源に恵まれている地域でした。さらに、洋式高炉を作る前から釜石を中心とした岩手県地方一帯では、鉱石精錬という土着の技術が、すでに長い伝統をもっている地域でした。
上記のような大島高任と釜石の伝統があいまって、釜石が近代製鉄業の発祥の地と言われるようになったようです。
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大島高任(おおしまたかとう)とは?
大島高任は、1826年(文政9年)に南部藩で藩医の父のもと、盛岡に生まれ、1846年(弘化3年)に長崎に留学し、蘭学を学び、オランダ語の文献を手塚律蔵らとともに「西洋の兵法、砲術、鉱山、製銑の方法」を修めています。
また、オランダの造兵・冶金技術書である「リエージュ国立鋳砲所における鋳造法」を翻訳し、「鐵煩鋳鑑図(てっこうちゅうかんず)」という本で知られています。この本は、反射炉や砲鋳造の技術に加えて、高炉の構造・鉄鉱石の製錬もくわしく記載されています。
この経験を活かして、1853年には、水戸藩主の徳川斉昭に招かれて那珂湊に反射炉を建造し、大砲の鋳造に成功しています。その後、釜石で洋式高炉の建造に取り掛かっています。
このような経験から、大島高任の業績は、近代の日本の製鉄技術の源流となり高く評価されていいる人物です。
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鉄の記念日のイベントとは?
鉄の記念日は、元々、鉄工業者の業界集団である、日本鉄鋼連盟が制定した記念日です。その為、12月1日には、鉄に関するPRイベントが行われています。
釜石の鉄の歴史館のイベント
※過去に行われたイベントを参考に記載しています。
鉄の記念日は、釜石の鉄の歴史館でイベントが行われます。
- 12月1日は、入館料が無料
- ミニ高炉で製鉄体験
- 特別企画の展示
- 橋野高炉 写真・模型展
入館料の無料は12月1日のみで、ミニ高炉で製鉄体験、特別企画の展示などは週末など日程にばらつきがあります。
上記は、過去のイベントの情報です。詳細は、釜石の鉄の歴史館のイベント情報を参照してください
科学技術館「鉄鋼」新展示室
※過去に行われたイベントを参考に記載しています。
鉄鋼連盟は、昭和49年に東京都千代田区北の丸公園の科学技術館に鉄鋼展示室を開設しました。
過去には、12月1日にリニューアルオープンを記念して、「式典」や「新展示室披露・祝賀パーティー」「記念講演会」「記念イベント「たたら製鉄」」などが行われています。
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鉄に関する豆知識
なぜ、洋式高炉が作られたのか?
洋式高炉が導入される前から、日本でも製鉄は行われていましたが、従来の「たたら製鉄」では生産能力が悪く、大砲の鋳造に適した素材が得られませんでした。
富国強兵を目指す明治政府は、洋式高炉を国家事業とし、大砲の鋳造に適した素材を大量に手に入れることができるようになりました。
洋式高炉の導入は、明治、日本の近代化に必須であったようです。そう考えると、鉄の記念日は、日本にとって大切な記念日だといえると思います。
「たたら製鉄」は、洋式高炉に負けるのか…!?
日本の古代の製鉄法として「たたら製鉄」では、刀剣や高級品を作る場合に適している製鉄法です。これは、現在でも同じです。
「たたら」は良質な鋼を作るのに適しています。しかし、量産ができないので、産業革命以後の大量に鉄を必要とする場合は、適さない製造方法です。
多少、品質が落ちたとしても、大量に鉄の素材を作るためには西洋高炉が適しているという訳です。その為、
釜石の高炉は国指定の史跡になっている
鉄の記念日のもとになった洋式高炉の岩手県釜石市橋野町には橋野高炉跡という国指定の史跡があります。
現在は、三基の高炉跡や御日払所、水車場跡、長屋跡などが確認され、日本における製鉄産業の近代化を象徴する史跡として、その価値は極めて高く評価され、昭和59年4月3日に、アメリカ金属協会から歴史的遺産として「ヒストリカル・ランドマーク賞」を受賞しました。
その後、平成27年7月5日、橋野鉄鉱山の橋野高炉跡及び関連遺跡を含む「明治日本の産業革命遺産」としてドイツのボンで開催された第39回世界遺産委員会で世界遺産に登録されました。