5月2日は、えんぴつ記念日という記念日です。

えんぴつ記念日は、日本で初めて鉛筆工場を創立し、日本で初めての鉛筆工場の生産が始まったことにちなんで制定された記念日です。

さらに詳しく、「えんぴつ記念日」について興味がある場合は、このまま読み続けてもらえれば知識を深めることができます。
 

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「えんぴつ記念日」に関する基本情報

ここでは、「えんぴつ記念日」の基本的な情報として、誰が制定したのか?なぜ、5月2日なのか?といった点を紹介します。

なぜ、5月2日が記念日になったのか?

えんぴつ記念日は、日本で初の鉛筆工場で、鉛筆の生産が始まったのが、1886年(明治19年)であったことにちなんで、5月2日を記念日にしています。

日本で初の鉛筆工場とは?

日本で初めての鉛筆工場は、眞崎仁六(まさき にろく)が東京の新宿(新宿区内藤町)に眞崎鉛筆製造所が創立されました。

1878年(明治11年)に、眞崎仁六は、パリで行われた万博で鉛筆を初めて見て感動したのがきっかけで、様々な研究と努力を重ねて、水車を動力とした工場を建てました。眞崎鉛筆製造所は、その後に、三菱鉛筆株式会社となっています。

三菱鉛筆は、三菱グループとは関係ない!?

眞崎鉛筆は、1952年に、三菱鉛筆に社名を変更し、三菱マークを使用しています。同じ三菱マークを、三菱財閥の使っています。これは、元々、それぞれの家紋が、「眞崎家は三鱗」、「三菱財閥の岩崎家は三階菱」といったことで、たまたま三菱マークになっていましたが、まったく関係はありません。

誰が制定した記念日なのか?

えんぴつ記念日は、誰が制定したのかは不明です。

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「えんぴつ記念日」に関する雑学・豆知識

ここからは、「えんぴつ記念日」にちなんで、「えんぴつ」についての豆知識、雑学を紹介します。

なぜ、「鉛筆」と呼ぶのか?

鉛筆は、明治初期には、「木筆」と呼ばれていました。その後、「鉛筆」と呼ばれるようになりますが、それは一説によると、「lead pencil」(鉛の筆)の訳語であると言われています。

鉛筆の芯の黒鉛が「鉛」と思われていた?

「鉛筆」と「鉛」という字を使うのは、昔は、鉛筆の原料の黒鉛が「鉛の一種」であると思われていたからです。18世紀から19世紀にようやく黒鉛が炭素であると判明しました。この昔の黒鉛が鉛であると言った思い込みで、「鉛の筆記具」として、「鉛筆」という漢字になったとも言われています。

鉛筆の起源とは?

鉛筆の起源は、約600年前の14世紀ごろ、イタリアで「すず」と「鉛」を混ぜた芯を木軸に装着した鉛筆が作られたものだと言われています。

日本には、いつ、鉛筆が入ってきたのか?

鉛筆が日本に入ってきたのは、江戸時代の初期だと言われています。オランダ人が徳川家康に鉛筆を献上しました、この時の鉛筆は、現在でも静岡県の東照宮博物館に保存されています。

鉛筆の成分は?

鉛筆の芯は、鉛筆を作っている「Tombow」によると、鉛は使用せずに、黒鉛と粘土で作られています。黒鉛とは、炭素でできた石炭、ダイヤモンドの同素体で仲間です。

鉛筆の芯の成分である「黒鉛」とは?

鉛筆の芯に使われている黒鉛は、石墨とも言われ、天然で産出されますが、石炭とは異なり、層状構造をしています。この層状構造の層間が滑りやすくなっているので鉛筆で書いた時の滑りやすさを出すのに適しています。

鉛筆の芯には粘土が使われている

鉛筆の芯には、粘土が使われています。この粘土は、鉛筆を作っている「Tombow」では、ドイツ産の粘土を使っています。粘度自体は、日本でも産出されていますが、鉛筆の芯として成形に適し、不純物を含まず、その強さなどから、ドイツ産の粘土が良いようです。

色鉛筆の芯の成分とは?

色鉛筆の芯は、着色、体質顔料、ワックスで出来ています。

 

まとめ

えんぴつ記念日は、誰が制定したのかは分かりませんでした。しかし、日本で初めて鉛筆が製造されたのが記念日制定の由来になったようです。

最近では、便利に使えるということでシャープペンシルを使う人が増えていると思いますが、場合によっては、鉛筆の方が使いやすいこともあるので、えんぴつ記念日に、再度、鉛筆の大切さ、使いやすさを思い返すのも良いかと思いました。